2008年12月17日

伊織と俺のプロデュース3

いきつけのバーがある細い路地の、そのさらに路地裏にその店はあった。5人も客が入らないような小さなスタンドバー。隣には男が立っていて、俺の様子をちらちら伺う。俺は好きなものを注文するように言うと、その男は安い酒を頼んだ。

「あまり高い酒をおごってもらうと、後が怖いんでねぇ」

俺が鼻を鳴らすと、しししと笑って男はグラスを舐めた。

「で、何の用で?」

伊織に密着してゴシップ記事を流す男。こいつがソレだった。業界では鼻つまみ者として扱われてはいるが、フリーランスのこの男がすっぱ抜いたスキャンダルは枚挙にいとまがない。今回はその情報網が役に立つだろう。伊織のTV出演がキャンセルされたその真相を知るために、俺はこの男と会っている。

「ああ、例のプロダクションの話」

男は安酒を一気に飲み干す。

「もう一杯いいですかい?」
「知ってるのか?」
「ええ、知ってますとも。おたくの伊織ちゃん気の毒でしたなぁ」

俺が頷くと、今度は高い酒を注文する。腹が立たないと言えば嘘になるが、魚心あれば水心だ。男は琥珀色のグラスを眺め、ゆっくりと香りを楽しみ、ちびちびとグラスを舐める。男がしゃべり出すのを待って、俺は煙草を口にくわえる。

「おっと、こいつを楽しんでいる間は煙草はご遠慮願えませんかね」
「お前が話をしてくれれば、俺が出て行くさ」
「んー。お話するにはもうちょっと何か欲しい所でして…」
「ほう? 何か」
「そう。何か」

俺は指を3本立ててみせる。男はわざとらしく、口をへの字に曲げてみせる。追加にもう2本。男は腕を組む。

「悪いがうちの事務所は貧乏なんだ」
「別の物だってかまいやしません」
「別の物?」
「例えば、伊織ちゃんの生写真」
「そんなものでいいのか?」
「もちろん、疲れて隙だらけのしどけない姿とかお着替え中のあられもない姿とか……」
「で、伊織が売れ出したら写真週刊誌にでも売るのか」
「無駄になる可能性もありますがね」

俺は万札を7枚差し出す。男はひったくるように受け取ると、下卑た笑みを浮かべた。

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posted by tlo at 22:54| ○○の仕事風

2008年12月10日

伊織と俺のプロデュース2


「あんたじゃ話にならないんだ。上の人間を呼んできてくれないか?」

俺は声をなるべく低めた。声を低めなければ、怒声を上げていたに違いない。

「何しているんだ。早く」

歯を剥いて睨み付けると、しどろもどろになったADはようやく重い腰を上げて飛んでく。深い溜息をついて、俺はソファーに体重を預けた。ふと、隣に座る伊織と目が合う。彼女は目を丸くしていた。

「アンタもなかなか演(や)るじゃない」
「冗談じゃない、演技じゃないよ」

実際冗談じゃなかった。TV出演がキャンセルされたのだ。俺じゃなくても怒鳴り込むに決まっている。

近頃TV出演についてはいろいろ不可解なことが多かった。どう見ても伊織より見劣りする娘が選考されたり、突然出演枠が増やされたり。しかもそういう時には決まって、とある芸能プロダクションが絡んでいた。今回も伊織の代わりに出るのは、そのプロダクションが売り出し中のアイドルだというのだ。件の惨敗したオーデションに有名アイドルが集中したのも、こんな不可解な状況を鑑み冒険を避けた結果だったのかもしれない。もっとも、俺がここまで強く出るのは別の理由がある。

待つこと十数分。結局出てきたのは、さっきとは違うADだった。これで4人目。一応チーフという肩書きはあるらしいが、事の真相を聞き出すのは期待できまい。おそるおそる、横に座る伊織を見る。案の定爆発寸前。

「いい加減にしてくれ!」

ただでさえゴシップ記事が流れている現在、これ以上伊織の評判を落とすわけにはいかない。そう、伊織が爆発する前に怒るのも俺の役目なのだ。
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posted by tlo at 22:40| ○○の仕事風

2008年12月08日

伊織と俺のプロデュース1

「セレドル水瀬伊織のアイドルごっこ」
「765プロで売り出し中のアイドル、水瀬伊織ちゃんの事はご存じだろうか。知ってるとしたらあなたはよほどのアイドルマニアか、あるいは『上流階級』の方に違いない。そう、彼女は正真正銘あの水瀬財閥の末娘なのだ。そんな彼女がなぜ芸能界に入ったのだろう。とあるTV局のADはこう話してくれた。『あの子、芸能界でちやほやされたいだけなんだと思います。お嬢様気質が抜けないというか、何か勘違いしてるんじゃないですかね。私達ADを小間使い同然に扱いますし、怒ってる業界人は多いですよ』……」

俺は記事の途中でその雑誌を机に放り投げた。その雑誌はゴシップ週刊誌で記事の信憑性は殆ど無い。だが、アイドルはイメージを売る商売で実態が無いだけにゴシップの存在自体が致命的になる場合がある。さらに、今回の記事については妙なリアリティがあるというか俺について言えば身に覚えのあることばかりというか……

ばたん!

大きな音を立ててドアが蹴り開かれた。そこには仁王立ちの伊織の姿。片手には俺がさっきまで読んでいたゴシップ週刊誌が握られている。俺は、頭を抱えた。

「ちょっと、アンタ! なんでこの記事止められなかったのよ!」

伊織は大声上げ、事務所をズカズカと俺の方に歩み寄って来る。大きな溜息をつく俺に、伊織は胸ぐらをつかみ詰め寄った。

「こんな嘘っぱちな記事差し止められなかったの!?」
「記事の情報は掴めなかったんだ。写真も載らない記事だったからね」

実際この記事の扱いはそれほど大きくはない。伊織は普通に雑誌に載ってもまだ見開きは取れない現状だ。ゴシップ記事を載せたところで誰も喜ばないだろう。だが、俺達はこの記事を書いた人間を知っている。

「じゃあ、アイツの事なんとかしなさいよ!」
「…ああ」

先日の事だった。伊織と共に挑んだオーデションだったが、そこにいたのは蒼々たるメンツであった。覇王エンジェル、佐野美心、サイレントスノー……。もともと無理を押して全国ネットを狙ったオーデションだったが、祭典オーデションでもあり得ないメンツである。結果は惨敗。しかもその様子をたまたまそこにいたゴシップ記者に見られてしまった。

『こいつは面白い。しばらく密着させていただきますぜ……』

以降ゴシップ雑誌に記事が載り始め、その影響かどうかは分からないが伊織の仕事は減少ぎみだ。特に伊織を「セレドル」と褒め殺しにする記事が痛かった。伊織はまぎれもない「セレブ」で、この不況のご時世庶民の怨嗟の的になりやすい。だがそれを逆手にとって、徹底的にいじられ笑いものにされるか、あるいは庶民的な親しみやすい面を見せていけば「セレドル」という肩書きは武器にはなるだろう。だが伊織は良くも悪くも気位が高く、生来の大物だ。そういうプロデュースはあり得なかった。

「今は耐えよう。そのうち飽きて別の標的に移るさ」
「耐えるって何消極的なこと言ってるのよ! 名誉毀損で訴えなさいよ!」
「春香にもついたことがあるそうなんだけど、一ヶ月も経たないうちに飽きたらしいよ」
「きーっっっ! アンタ、悔しくないの?! こんな嘘八百並べ立てられて」
「……嘘ばかりでもないからなぁ」
「なんですって?」
「いや、悔しいさ。でもこの悔しさは仕事で見返してやろう。ほら、今日はリハーサルがあったろ」
「………分かったわ。でも、一ヶ月経ってまだ密着していたら…」
「ああ、分かってる。どんな手段にでも訴えるよ……え? 何ですか小鳥さん」
「電話ですよ。TV局から」

小鳥さんから電話が転送される、そこは今日の仕事先のTV局だ。直前になって時間の変更でもかかったのだろうか。俺は受話器を取る。

「もしもし……はい。はい……。………え? 何ですって?!」

posted by tlo at 20:51| ○○の仕事風

2008年12月07日

伊織と俺のプロデュース

lolita01.png
special thx>夏蜜柑P


・一部に性的な表現をしております。
・18歳未満、性的表現を好まれない方はお引き換えし下さい。

はじまり
posted by tlo at 00:00| ○○の仕事風

2008年11月11日

伊織と千早と蒼い鳥−Epilogue

「先日は、ありがとうございました」
「おかげさまで、とってもいいステージにしていただきました。本当にありがとうございましたぁ」

俺の礼に伊織が特上の甘ったるい声で続く。俺達は先日の収録の礼に、TV局のディレクターを訪れた。収録したステージは先日放送され、週末深夜帯の番組にしては高めの視聴率を納めた。もっともその週には、大物アーティストがアルバムをリリースし、番組のメインゲストに招かれている。好視聴率の理由はそれだろう。それでも多くの人に伊織達の姿が露出したのは事実だ。それも現時点で望みうる最高のステージを見せられた事は大きい。

「ん……ああ」

職人ディレクターはいつものように、素っ気ない返事をする。伊織がアドリブを決意した時、俺はこのディレクターに演出プランの変更を伝えた。

〜〜〜

『ようするに、アドリブやりたいって事だろ?』

どんなに言い繕っても見透かされる。下手な嘘は怒らせるだけだろう。俺はその言葉に頷き、頭を下げた。

『お願いします!』

千早のプロデューサーも声を上げ、頭を下げる。

『多分、こうなることを千早は予想していたと思います。望んでさえいたはずです』

伊織の意志を俺は千早のプロデューサーに伝えた。反対されるものと思っていたが、彼は頷いた。彼も千早から、それとなく話をされていたという。

『あなたが伊織を信じるように、俺も千早を信じます。俺は千早のプロデューサーです』

伊織は俺達のプランをぶちこわそうとしている。俺が伊織の為に悩み抜いてたてたプランだ。思い入れのない筈がない。だが、それでは「蒼い鳥」を歌えないと伊織は考えた。そして俺の「過保護」なプランを壊す行為そのものが、「蒼い鳥」を歌う事だと結論した。

伊織は俺のプランの先を行ったのだ。

『お願いします!』

俺も声を上げる。最早ステージで俺の出来ることは何もない。俺のすることは、伊織達がステージを全うできるよう横から支えること。伊織の意志を遂げさせることだ。例え、土下座しようとも……

『ん、分かった』

しかし返ってきたのは、素っ気ないうなずきだった。彼の号令一下、スタッフ達が動き始める。てきぱきと動くその様子に、戸惑いは一切無い。収録は何事もないかのように始まり、何事もないかのように終わった。歌い終わった後、スタッフからは拍手とねぎらいの言葉が二人のアイドルにかけられたが、すぐに次の収録の準備が始まると、俺達はスタジオを追い出されている。

〜〜〜

「俺の駆け出しの時分はな、そんなの当たり前だったんだよ。ライバルと目したアイドルがすげえステージしたら、それに負けじとやりかえす。どいつもこいつも生き残りに必死だ。そんな真剣勝負の立会人が、リハーサルと違うなんて言ってられねえだろ?」

俺が抱いていた疑問。何故あっさりと伊織のアドリブを認めたのか問うと、彼はいつになく熱っぽい調子で話し始めた。

「うちの連中にはその辺きっちり言い聞かせてるあるんだよ。ま、素人に毛の生えた程度の連中の尻ぬぐいにしか役に立ってなかったけどな」
「すごぉい! 伊織、こんなに気分良く仕事できたの初めてだったんだけど、そういう事だったのね!」

伊織がすかさず合いの手を入れる。こういう時は本当に卒がない。もっとも相手は百連錬磨。伊織の営業スマイルに彼は、にやりと口元を歪めてこう返した。

「ま、尻に殻をつけたまんまのひよっこなんざ、どんなに飛んでも高が知れてるがな」

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posted by tlo at 18:10| ○○の仕事風

2008年10月26日

伊織と千早と蒼い鳥8

「アンタ、私を信じてる?」


ステージ袖はちょっとした戦場だった。小さな不手際が重なり、撮影スケジュールは押している。本番直前、唐突に伊織はこう尋ねてきた。
こういう風に聞いてくる事が伊織には時々あって、何があったのかなんて説明は一切しない。が、そんな時に限ってその問いの背景には深刻な問題が横たわっているのだ。
だが今回は、その理由を知っている。

「伊織…」

朝からの不安が的中した。いや、来るべきものが来たというべきか。俺は資料室での二人の会話を聞いてしまっていた。恐らく伊織は、千早の『挑戦』を受けるつもりだ。それをするならほぼアドリブとなる。伊織一人のライブであれば問題は多くなかったろう。伊織の出来不出来が全てだ。
だが、伊織のアドリブを千早が受けきれるだろうか。それだけじゃない。リハーサルと違うとなれば、撮影スタッフも対応出来まい。
止めさせるべきだ。

「信じてるよ」

だが俺は答えた。伊織の申し出や提案を受けて失敗したことは数知れない。だけどその失敗さえ糧として、伊織とここまでやってきた。挑発した千早にも、それなりの覚悟はあるはずだ。いや、失敗を前提にするのはよそう。伊織も千早も相応の努力を積み重ねてきている。

「私を信じて」
「信じるよ」

伊織は「最高のステージ」を作ろうとしている。俺はあえて内容を問わない。今伊織が必要なのは無条件の信頼だ。例えそれがすがる藁にすぎなくとも、求めるのなら与えるのが今の俺がすべきこと。撮影スタッフには、俺が上手く伝えよう。

「俺は伊織の、プロデューサーだからな」

思い詰めた伊織の瞳が決意に光る。

「行ってくるわね」
「ああ、行ってこい」
posted by tlo at 01:37| ○○の仕事風

伊織と千早と蒼い鳥7-2


「違う」
「何ですって?」
「それだけでは最高のステージにはならないわ」

歌ってさえいればいい。確かにそう思っていた時もあった。だがプロデューサーと、そして春香と出会い、共に作るステージの魅力を知った。だから今回の仕事のステージプランを聞いたときには、そう、千早は失望を覚えたのだった。もし蒼い鳥をデュオで表現しようとするならば『片翼』では足りない。

「伊織、あなたにとって最高のステージは何?」
「そんなの、決まっているわ」

伊織は断言する。

「私というこの存在を、全人類に知らしめる事よ」

まるで冗談にしか聞こえないが、伊織にとっては大まじめな答えだ。そしてしばらく仕事を通じて伊織を見てきた千早も、その本気を知っている。ならば。

「じゃあ明日のステージは、あなたにとって最高のステージになるかしら」
「……ッ」

伊織は言葉に詰まる。伊織もステージプランに不満はあった。プロデューサーが言う最高のステージを作るため、伊織は千早に成りきるように言われている。その上で、千早を前に押し立て、一歩下がれと。だが千早と蒼い鳥という歌を理解するにつれ、この二つに矛盾を感じて始めていた。自由と孤独を両翼に千早が飛び立つのであるならば、一歩下がってステージに残される自分は滑稽でしかないのではないか?

「でも、BestじゃなくてもBetterのステージは見せれるわ」

伊織は千早の問い掛けを切り捨てた。その誘惑はあまりに魅力的だったが伊織は『プロ』だ。出来うる限りの冷たさを言葉に乗せる。

「収録は明日よ」

一気に冷めた空気が二人の間を流れる。千早唇をかみしめ、伊織は目をそらした。リピートが5回目に入った所で、千早が背を向ける。

「伊織」
「何?」
「私がナイチンゲールだって言ったわね」
「ええ言ったわ」
「だったらあなたは、籠のカナリアよ」
「それ、どういう事よ!」

伊織の怒声が響く。だが千早は振り向かない。

「ステージと私の家となんの関係があるっていうのよ!」
「違うわ。そんな事じゃない」
「じゃあ……!」
「どんなに綺麗な羽で取り繕っても、それは飛ぶための羽じゃない」

一顧だにもせず、千早は部屋を出て行った。最後に残した言葉には、失望がありがりと滲んでいた。

「あなたに蒼い鳥は歌えない」

posted by tlo at 00:22| ○○の仕事風

2008年10月25日

伊織と千早と蒼い鳥7-1

765プロ資料室。普段使うことのない部屋に伊織はいた。ほこりかかったかびくさい部屋を想像していた彼女だったが、よく掃除されて思いの外居心地のよいことを発見する。彼女は今、パイプ椅子に前後逆に、またがるように座っている。背もたれにあごを乗せ、食い入るような視線の先には、TV出演を録画した映像があった。

「ふーん、こんなのがあったのね……」


今現モニタには千早とあずさが映っている。それはかなり以前の仕事ではあったが、数少ない蒼い鳥のデュオではあった。今現在千早とデュオが組めるのは、春香とあずさだけだと聞いていた。確かにあずさの身長の高さはそのまま存在感となってステージに映える。だけど、このステージは伊織のイメージとは違っていた。

「……これデュオなのかしら」

小節ごとに歌い継ぐこの構成は、確かにあずさと千早を並び立たせてはいる。だがそこにはハーモニーもユニゾンもない。だからこれはデュオというよりは――

「ソロだわ」

リプレイで伊織はその印象を強くした。いつの間にか部屋に他の人間の気配がする。恐らくプロデューサーだろう。モニターから目を離さず、伊織は「背後にいる人物」に語りかけた。

「あずさも結局、千早として歌ってるんだわ」

「千早に成りきる」事が成功の鍵と教えられていた。故にリハーサル後に見せた千早の迷いは、伊織にも微妙な影を投げかけた。資料室にいるのは、以前見せてもらった千早の仕事の映像を求めての事である。この資料を見つけたのは偶然だった。

「隣に誰がいようが関係ない。結局アイツは独りなのね。ホントに自分の歌さえ歌えれば何でもいいのかしら……」

もちろん伊織も我が強い事を自覚している。だが、あたかも相手をいないかのように歌う事は無いし、そもそも出来ない。千早の凄味と致命的な弱みを伊織は改めて認識した。

「もしかしたら観客さえもいなくていいのかもしれない」
「そうね。そうかもしれない」
「え?」

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posted by tlo at 23:00| ○○の仕事風

伊織と千早と蒼い鳥6

「お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたー」

収録を明日に控え、リハーサルはつつがなく終了した。千早と伊織の挨拶に、TV局の番組ディレクターは無言で頷く。無愛想であるが職人肌で知られる彼の、それが普段の態度だ。だから俺たちも挨拶にも同様に頷くだけだと思っていた。

「なあ」

俺たちプロデューサーはぎょっとする。なにせ打ち合わせ以外には滅多に口を開かない男だ。そもそも調整室からスタジオに姿を現した事自体異例だった。ディレクターは思案顔で腕を組み、天井を見上げては床を見下す。
その間、俺は脳裏にリハーサルの光景を再生する。問題は無かったはずだった。だが相手は、80年代のアイドル黄金期に現場に入り、今や伝説的なアイドルを見て仕事をしてきたという大ベテランだ。俺の脳内再生が3回目のリピートを終えたところで、ようやく彼は言葉を継いだ。

「のっぽの子、千早ちゃんって言ったか」
「千早が何か」
「……ん、いや何でもない」

歯切れの悪い言葉に千早の担当プロデューサーは真意を尋ねたが、漠然とした何かを感じただけで具体的にどうこうというでは無いということだった。

「ま、明日はいろいろ押してて一発撮りになるからよ、ミスだけはしないでくれや」

千早担当の彼からは、千早の様子がすこし違うという事を俺も聞かされていた。初めてというわけでは無くそれは大抵仕事について考え事をしている時で、千早が一人で解決することもあれば、相談を受けることもあるのだとか。いずれにしても仕事に差し障りのあるレベルで無い以上、伊織担当の俺の出る幕はない。

「ちょっと! ディレクターに何言われてたのよ!」
「ああ、明日の収録が一発撮りになったらしい」
「今のリハーサルに問題があった訳ではないと」

立ち去ったディレクターと入れ替わってやってきたアイドル達を迎え入れる。俺は事務的に明日の予定を伝える。担当プロデューサーの彼は千早に頷いて答えた。

「でも今日の調子だったら全く問題ないだろ?」
「まあねー。というか、これぐらい当然だわ」

事実伊織は調子を上げてきている。この一ヶ月のレッスンは地道なもので、すぐ結果の出るものでは決してないのだが、良くも悪くも伊織は要領が良く飲み込みが早い。伊織は情感を乗せる為の歌の技術に気づき、それを飲み込みつつあった。

「プロデューサーから見てどうでしたか?」
「なによ千早。アンタ、何か不満があったっていうの?」
「不満じゃないわ。ただ私は最高のステージを作りたい、それだけよ」
「だったらアンタはいつも通りに歌えばいいだけじゃない」
「ねえ伊織。あなたはどう?」
「どうって……何よ」
「あなたも、最高のステージを作りたいと思うでしょう?」
「そりゃそうだけど。じゃあ聞くけど、アンタの考える最高のステージって何よ」
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posted by tlo at 17:30| ○○の仕事風

2008年10月11日

伊織と千早と蒼い鳥2/side.C

#時間軸を戻して。

これは……何ですか?」
「伊織だよ」
「それはわかりますっ………いえ、これは伊織なんですか?」
「伊織は自分に曲を降ろす。ステージで舞うのは、いわば曲の化身だね」
その疑問ももっともだと、彼女の担当プロデューサーが口を開く。
「そして何よりあの子がすごいのは、見る人さえも我を忘れてしまう事。文字通り魅入られるんだ。千早はこんなステージ作れる?」

765プロの資料室は千早が利用することが多いことから、今では二人のミーティングの場となっていた。暗闇に浮かぶモニタには伊織の舞う姿が映し出されている。インスト祭りと銘打たれたイベントに、伊織はダンサーとして招待された。彼女の魅力が遺憾なく発揮されたそのステージは、業界では知る人ぞ知る語り草となっている。
プロデューサーは千早の言葉を待つ。長い沈黙が破られたのは、ビデオの再生が終わってしばらくしてからだった。

「私のステージとは正反対です」

千早は自分自身をステージに乗せ歌によって表現する。聴衆は心を揺さぶられる事で、より強く自身を意識することになるだろう。伊織のステージとは真逆のものだ。

「確かに、水瀬さんに対する見方は変わりました」

わずかに揺れていた瞳に力が戻る。千早は向き直り、背けていた視線をまっすぐに射る。例え世界を相手にしても一歩も引かない断固たる意志。千早が千早である理由。

「ですが蒼い鳥は絶対に譲れません」
「譲れなんて言わないさ」

デュオのステージはトリオよりも難しい。少なくとも千早はそう思っている。だからこそ、伊織に合わせろという指示がでるものばかりと思っていた。

「むしろ君の全てを出して欲しいそうだ。俺もそれでいいと思う」

千早は決して譲るまい。ならば最高の舞台を作るため、今回は伊織が千早に譲る形を取る。千早がメインで伊織がサブ。他の曲であればまだしも、蒼い鳥ならこれ以外に策は無い。
プロデューサー同士で打ち合わせたプランを明かされて、千早は考え込む。深く沈思する横顔に、再び迷いの色が帯びる。プランを聞いて喜ぶとは思っていなかったが、プロデューサーにとっては意外な反応ではあった。

「・・・それでいいのかしら」
posted by tlo at 18:53| ○○の仕事風