2010年01月21日

伊織とやよいのサバイバル26

#あと、2回で終わりです。

遠くから大きな声が響く。エアコンの音より低いざわめきが聞こえてくる。今、楽屋の前の廊下を走っていったのは、声に呼ばれたスタッフだろうか。アイドルアルティメット6回戦は異様な雰囲気に包まれていた。

「緊張してしまうな」

伊織はスニーカーの紐を解いた。そして捩じれを直すと、ゆっくりと結び直し始める。

「アンタがオーデション受けるんじゃないのよ」
「でも、こんなに大きな『仕掛け』をしたのは始めてだからな」
「アンタねぇ」

紐を結う手を止め、伊織はゆっくりと顔を上げた。

「IUが終わったらもっと大きな仕事をしなくちゃいけないのよ? わかってる?」
「……もう勝った後のこと考えているのか?」
「あったりまえじゃない! ってアンタ、私が勝てないって思っているんじゃないでしょうね?」

もしかしたらと声をかければ思ったとおりだった。伊織らしい大言壮語だが、固い声がわずかに上ずっている。この状況だったらしょうがないとはいえ、不安が残っているのだろう。俺は大きくため息をつき、頭を掻く。

「なんとかいいなさいよ」
「一つ。これができればお前は勝てるよ」
「そんなのがあるなら──」
「最高のステージを作る。できるか?」

身を乗り出した伊織は、唐突な答えに目をしばたかせる。俺は言葉を続けた。

「IUの魅力は何だと思う?」
「アイドルが本気で戦う真剣勝負でしょ?」
「そうだな。じゃあ、IUで最高のステージを作るにはどうしたら良い?」

伊織は眉をひそませる。だが尖った口が、不敵な笑みに変わるには時間はかからなかった。

「全力の私を魅せる」

俺はその答えに親指を立てて見せた。そう、奇を衒った作戦は不要なのだ。IUの回を重ねるに連れ、伊織はさらに成長している。今や彼女は、優勝候補の一角に数えられているのだ。堂々と王道を行けば良い。例え、友と争う戦いであっても。

「絶対勝てるよ」
「まっかせなさい!」


「どうしたの黒井社長。珍しいね」

伊織奈は素っ頓狂な声で、私を迎える。IUを通じ、こうして楽屋に見舞ったのも初めてだから無理も無い。そうしなければならないほどに、IU6回戦は重要なのだ。

「伊織奈ちゃんに限って大丈夫だとは思うけど、ちょっと心配でね」

この6回戦を丸ごと買い取り冠スポンサーとなった水瀬グループは「公正な競争」を望んでいるという。だが実際は分かったものじゃない。なんでも噂では、水瀬の末娘が父親に泣きついたとか。金でごり押しする成り上がり者の発想には呆れ果てるばかりだ。

「そう? 私は社長のほうが心配かな」
「どういうことだい?」
「だって、いろいろやられたい放題じゃない? 私を引き抜いたときなんか、私に任せておいてくれたまえ、なんて偉そうなこといってたのにさ」

大体この娘もこの娘だ。あっちこっちで言いたい放題。おかげで、あっちこっちの火消しでおおわらわという体たらくだ。その放言癖が無ければ、それでも出来レースの勝者の席に座っていたかもしれなかったのに。全く、どいつもこいつも!

「伊織奈ちゃん、もし負けたらどうなるか分かってるね?」
「……今、思い出させる事ないじゃん」
「私なりの激励と思って欲しいな」
「デリカシーの無いオトナって嫌いだよ」

私も遠慮の無い子供は嫌いだ。が、テレビに限らずアイドルタレントの仕事は減り続けている。キャンペーンガールとしての安定した収入はこのご時勢貴重だ。この物件は是非ともモノにしなければならない。私は喉まで出かかった悪態を飲み込む。

「この後アポがあるから私は見届けられないけど、がんばるんだよ。私の子猫ちゃん」


posted by tlo at 00:12| ○○の仕事風