2009年09月21日

伊織とやよいのサバイバル15

♪〜

「らららーららー」

♪↑〜

「らららーららー」↑

伊織が追加レッスンを求めたのは久しぶりだった。そもそもレッスン自体はもう教えることはなく、精々オーデション前のコンデション確認といった程度の意味合いでしかなくなっていた。が、伊織は前にも増してレッスンに真剣に取り組んでいる。

『慣れでやっちゃってる所が出てきてるのよね。時間の取れるときに再確認しておきたいわ』

「慣れ」というのは動作の効率化だ。要領の良い彼女がそんなことを口するのは、慣れは同時に省力化そして自動化、つまり「手抜き」にも通ずるからで、こと「表現」においては避けねばならない事に気づいているからだろう。

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「らららーららー」↑↑

「ん、OK。このぐらいで良いか?」
「今のもう一度」
「何かまずかったか?」
「もう少しお腹から出るようにしたいの。今のは胸の辺りだったわ」
「そうか」
もう一度同じ鍵盤を弾く。思えば1年前には出せなかった高さだ。それを伊織は、出すだけでなく自分の音程にしようとしている。数回繰り返し、伊織はようやく頷いた。

「次の予選オーデション、俺いなくて大丈夫か?」
レッスンスタジオのロビー。一息入れている伊織が、ポットからホットレモンを注ぐ手を休める。眉をひそめ、理由を問う声が険しい。オーデション前などは伊織はナーバスになる。追加レッスンを申し出て、それも苦手のヴォーカルレッスンだった事からも、伊織の心境はうかがい知れる。
「例のTVSの土8の打合せだよ。予選の時間と重なったんだ」
「遅い時間ね」
「先方の担当がこの時間しか空かないって」
伊織が不満を抱いていたドラマのキャストは、主演女優交代という決着を見た。洩れ伝わってくる噂では主演を予定されていたアイドルは、女優への転身という事務所の方針に不満を持っていたという。結局、彼女はドラマ主題歌を歌うことで話し合いがまとまった。伊織の望みが、方々丸く収まる形になったのである。
「…そう」
「律子に付き添ってもらうよ」
「……ええ」
正直、オーデションに立ち会えないのは心配でならない。だが今の伊織なら、4回戦程度楽勝の筈だった。それに、いつまでも伊織の傍にいられる訳ではないのだ。往々に人を信じるという事は、むしろ信じる側に強さを求める。
「伊織だったら絶対勝てるよ」
伊織は見詰める俺の瞳を覗き込むと、すこし俯き。そして顔を上げた。いつもの不敵な笑みと共に。

「――任せなさい」
posted by tlo at 01:50| ○○の仕事風