2009年07月30日

伊織とやよいのサバイバル12

「ではお疲れ様でした!」
「「「「「かんぱーい!!」」」」

乾杯に合わせて俺はウーロン茶の入ったピルスナーを、伊織はジンジャーエールの入ったシャンパングラスを掲げる。汐留のイタリアンレストランを貸し切った、ドラマの打ち上げが始まった。会場に着いた時には出来上がっていたディレクターは気勢を上げる。

「スポンサーさんからも差し入れを頂いてます! 皆さん、どんどん飲んでください!!」
「ありがとうございーす」「あざーっす」「いただきまーす」

伊織の出演したドラマは平均14%という好視聴率を残した。準レギュラーまでの出演者だけでなく制作会社のスタッフまで招かれ、あちこちから笑い声が上がる。この手の打ち上げが「反省会」になってるドラマが多い中、ここは「祝勝会」の会場だった。
俺と伊織がスタッフや共演者に挨拶に回ろうとすると声がかかる。主演である彼とJプロの担当者だった。恐縮する俺をよそに、伊織は当然といった顔でJプロ担当者の挨拶を受ける。

「ドラマが成功したのも伊織ちゃんのおかげだよ。本当にお疲れ様」
「そんなことは、ありますけどねー」
「ありがとう、水瀬さん。いろいろ教えてもらって勉強になったよ」
「次のドラマもよろしくね」
「またいろいろ教えてください」
「もうアンタの恋人役はこりごりよ」
「僕じゃダメかな?」
「私の恋人張るっていうなら、夜の公園で素っ裸になって『イオリーイオリー』って叫ぶぐらいの根性欲しいわね」

きわどいジョークに、Jプロ担当者の笑顔が引きつる。流石に調子に乗りすぎだとは思うが、下手なフォローすればいよいよ空気が悪くなるだろう。逡巡していると、彼が口を開いた。

「そうか。今度してみるから、水瀬さん。見届けてくれないか?」
「バ、バカじゃないの?! 何でアンタの裸見なきゃいけないのよ! っていうか真に受けないでよ! そういうバカ正直なとこ直しなさいって何度もいったじゃない!」

思わぬ反撃に、伊織の顔が真っ赤になった。和らぐ空気に俺も胸をなで下ろす。
ヒロインに抜擢されて以来、彼の演技に業を煮やした伊織は徹底的に稽古を付ける事にした。が、あまりの大根ぶりにキレた伊織は被っていたネコを脱ぎ捨ててしまったのだ。以来、万事がこの調子なのだが、少々のことには動じない大物っぷりを発揮する彼となんだかんだで世話を焼いてしまう伊織は、妙に歯車が噛み合った。

「お、夫婦漫才始まったな」
「誰が夫婦よ!」
「もうこれが聞けなくなるって寂しいね」
「アンタ達に聞かせてる訳じゃないわ!」

いつの間にか伊織の周りには人の輪ができ、今回の現場の雰囲気が再現される。視聴率低迷を打開するために、プロモートに利用しようと伊織を引き入れるまではJプロの思惑通りだったろう。ところが伊織は得たフリーハンドを縦横に振るい、現場の主導権を奪ってしまったのだった。
そしてJプロタレントが出演した今期のドラマで、成功したと言えるのはこれだけだった。伊織と共演した彼も得る物が多かった筈で、Jプロは今後もこのプロモーションを続けるつもりという。
彼女はこの状況を「創り出した」。彼女はそれに気づいていないかも知れないが、与えられた役柄を演じるだけでなく、舞台を思うままに作り替えていったその才気は、もうアイドルの埒を超えている。伊織は大きく羽ばたき始めたのだ。
喜びが込み上げてくるも、一抹の寂しさがよぎった。俺は人の輪から離れると、一人グラスを煽った。

二次会は六本木で行われるとのことだった。未成年者はここで解散とのお達しに、伊織の「クラスメート」達は一様に不満げな声を上げる。だが二次会からはアルコールも入るし、夜遅くまで繁華街を連れ回すわけにはいかない。尚もぶつくさ言う共演者達を「クラス委員長」伊織が一喝。Jプロの彼も帰ると続き、ようやく移動が始まった。

「アンタは行かないでいいの?」
「後で合流する。大通りまで送っていくよ」
「そういえば、土8の件ってどうなったの?」
「脚本を見て検討するって伝えてある。そろそろ上がってくるんじゃないかな」
「来たら私にも見せてくれる?」
「ああ、もちろん」

秋クールのドラマとなるこの仕事以外にも、俺はオファーのあった仕事を何本か入れるつもりでいる。伊織のIU勝利を信じているのももちろんだが、既成事実作りという側面もある。IUで万一のことがあっても、取ってきた仕事で結果を出せば伊織の価値の証明となろう。

「それと、ヒロインのアイツ」
「彼女がどうかしたか?」
「他の誰かと交代するよう、働き掛けてよ」
「またそんな無茶を」
「Jプロのタレントも出演してるわよね。話せば乗ってくるかも知れないわ。今期も、誰か彼女と組んでコケたのあったじゃない」

ヒロインにキャストされているアイドルは、出演するドラマがことごとくこけて「低視聴率女優」と揶揄されていた。今期も散々たる結果に終わり、次でダメだったらもう後がない無い所まで追いつめられているという。

「彼女だけが悪かった訳じゃないんだけどな」
「落ち目になったら何をしてもダメよ。別方向に転身するとかしないと」
「女優は事務所の方針だって聞いたよ」
「だったら仕事を選ぶべきね。この役だって、聞いた限りじゃ彼女向きとは思えないわ。あんな肉食系の顔して上京してきた田舎娘とか、無理がありすぎるって思わない?」
「俺も無理だって思うけど、リスクが高いな。Jプロと組めても、お前の評判に影響でるぞ」
「『結果』を出すわ。その為にも、もう共演者で苦労するのはこりごりなの。多分、彼女も他の仕事を取った方がいいんじゃないかしら」
「………キャストじゃなくてシナリオ変更当たりで攻めてみる。それでいいか?」
「最悪この話蹴ってもいいわよ。富士の深夜枠の話の方が面白そうだし」
「正式なオファーじゃないけどな」
「イイトモにもでれるからそっちがいいかも。ちょっとプッシュしてきてよ」
「ん、分かった」

伊織のワガママも、ずいぶんと変わった。以前は無理難題を並べ立てるだけだったのに、この頃は耳を傾けるべき意見が増えたのだ。きっと、伊織はアイドルをより主体的に考えるようになったのだろう。アイドル引退勧告を受けて以降、その傾向は特に顕著になった。悪い事ばかりじゃない。
大通りに出ると待ちかまえていたように水瀬家のリムジンが止まっていた。新堂さんがドアを開け、伊織を迎え入れる。

「じゃあね。次の予定はIU予選だったかしら?」
「ああ。予選の前日に軽くレッスンを入れよう」
「分かったわ」
「あと」
「なに?」
「今日、やよいが二次予選を抜けたって」
「……やよいからメールはいってたわ」

あえてやよいの名前を出せば、俺が宿題の答えを催促してのは伊織だったら分かる筈だ。やよいとぶつかったらどうするか。俺はまだ返答をもらっていない。

「やよいは、伊織と一緒にIU出れて嬉しいって言ったそうだよ」
「やよいらしいわね」

ふっと笑みが洩れる。苦い顔を予想していた俺は不意をつかれた。

「難しく考えること無いのよね。やよいもアイドルなんだから、予選で当たればライバルよ。変に意識する方が、むしろやよいに対する裏切りだわ」
「他のアイドルと同じって事か?」
「ええ」
「ヒロイン降りろって、圧力をかける事も辞さない?」
「バカね。そういう時には仕事を選べって直接話すわよ」

笑みに含まれていた苦みが消える。伊織は目を細めて笑った。

「だって、私達は友達だもの」

この二人の関係は伊織がやよいをリードしているように見えるが、やよいが伊織を後押ししてくれているように見える時もある。今は正にその時だ。一時的な立場の変化で友情は揺るがないと、伊織は結論した。やよいが押してくれなければ、この答えには至らなかったろう。

「だけど、パパに言われたことは秘密にしておいて。やよいを困らせたくないわ」
「もちろんだとも」

伊織を乗せた車が信号の向こうに走り去っていくのを見送って、俺も六本木へ足を向けた。
posted by tlo at 22:58| ○○の仕事風