2009年07月25日

伊織とやよいのサバイバル10

水瀬家の車止めで車を待つ。広大な前庭は既に闇に飲まれていた。車止めの明かりが届く噴水の水面に、雨の波紋が産まれては消えている。社長はもう少し伊織の父親と話していくという。伊織は送ってくれるというのか、俺についてきた。

「八重歯のこと、いつ気づいたの?」
「やよいとレッスンしてた時に」
「良く気づいたわね」
「やよいと一緒だと、よく笑っていたからね」
「そう……そんなに笑っていたかしら」
「公園レッスンが始まった頃はホントによく笑ってたよ?」
「そんなに前から気づいてたの?」
「そりゃ、伊織のプロデューサーだからな」

「嘘」

唐突な言葉に刺される。目を向けると、今度は伊織の視線に刺される。

「嘘は言ってないよ」
「嘘じゃなかったら裏切り者だわ」
「裏切ってなんか無いだろ?」
「だったら何であんな事いったのよ」
「担当を降りるって事か?」

頷きもせず、伊織は視線で俺を問いつめる。鋭い目の奥の瞳は潤み、わずかに揺れていた。

「もちろん、お前を世界一にしてやるよ」
「当然だわ」
「そのためには、どんな事でもするって言ったよな」
「ええ」
「その『どんな事』の中には、こういう事も含まれているだけの話だ」
「そんなの、私が許さないわ!」
「許さないか?」
「アンタ、私に誓いを立てたのよ? 私を世界一にする義務があるわ」
「なあ伊織」

俺は伊織を信頼している。伊織も俺を信頼してくれているようだ。アイドルとプロデューサーの理想的な関係だろう。だがそれは目的ではなく、手段だ。アイドルとプロデューサーに求められるのはあくまで成果だ。故に「短期決戦」となるIUに出場すると決めた時点で、伊織は「長期育成」を掲げる俺を切るべきなのだ。
それ以前に、俺に限らずプロデューサーと名乗る人間が出来る仕事はIUではほとんどあるまい。IUが定める「真のトップアイドル」という一つの価値観に沿えば良いのだ。そしてIUが求めるのが「誰からも愛される広告塔」「いつも笑顔の客寄せパンダ」といった類のアイドルであるなら、積み重ねたスキルはいらない。「人形」であればいい。

「分かったわ」
「そうか」
「アンタ、自分が何も出来ないからって拗ねてるんでしょ」
「なんでそうなるんだ!?」
「壁に突き当たってうまく行かないから投げだしてるんだわ」

駄々っ子みたい、とくすくすと伊織は笑い出した。初対面の俺にジュース買ってこいと命じた、あの時以来の怒りが込み上げる。あの時はふざけるなと怒声で返したが、今は図星を突かれて返す言葉もない。沸き立つ感情を必死に抑えていると、伊織は真顔になって、とどめを刺した。

「投げ出される私の気持ちも考えなさいよ」

最早伊織の顔を見ることも出来ずに、やっと絞り出す謝罪の言葉。

「………ごめん」
「それだけ?」
「俺が悪かった」
「ホントに分かってるの?」
「反省してる」
「猛省なさい」
「はい」
「二度とそんな弱音を吐かないのよ」

にひひっと笑う笑顔が、俺を覗き込む。俺は苦笑いを返して、大きく溜息をつく。

「だけどな、IUはほとんど俺役立たずだぞ」
「そんなこと無いわ」
「伊織……」
「私がこき使ってあげるから、安心なさい」
「……伊織」
「なによその顔は。不満なの?」
「いや、うれしいよ」
「よろしい」

伊織は頷くと、空に手を伸ばした。厚くたれ込めた曇の向こうを求めたその手がきゅっと握られる。曇り空を見上げる瞳は輝く星だった。

「欲しいものは自分で掴むわ」

輝く星が俺を見る。思わず息を呑む。いつのまにか伊織はこんな輝きを放てるようになっていた。近すぎて、俺はそれに気づいてなかった。彼女の父親のことは笑えまい。

「私達の夢を」

「私達」の夢と彼女は言う。だがIUが終わる頃には、「一年」も終わっているだろう。俺のプロデュースが事実上終わってしまったのは確かに悔しい。だがIUに勝てば、形はどうあれトップアイドルへの道が開けるのは間違いないのだ。苦境をくぐり抜けてきた伊織だったら、どんな状況をも巧みにひっくり返していくに違いない。俺は気持ちを切り替える。

「そうだな」

車止めにリムジンが滑るように入ってくる。新堂さんが車を降りようとするのを制して、俺は自分でドアを開けた。

「なあ伊織」

出来ることは少ない。だが、プロデューサーとしての最低限の仕事はこなそう。「その時」になっても慌てない為、危機管理が必要だ。高揚している伊織に、俺は冷水を浴びせる。

「お前、やよいとぶつかったらどうする?」

眩い光ががみるみる鈍くなっていく。言葉を失った伊織に宿題だと言い残し俺は、水瀬家を後にした。
posted by tlo at 03:02| ○○の仕事風