2009年07月07日

伊織とやよいのサバイバル9

没落した華族から買い取ったって言う屋敷は世間じゃ豪邸になるそうだけど、私にとっては産まれたときから住んでいる「日常の風景」だ。だけどアイツが、重いだけが取り柄の玄関の扉を開いて入って来ると、見慣れたはずの風景がどこか別の場所のように見えた。アイツが手を挙げて挨拶してきて、二階の踊り場からボーゼンとエントランスを見下ろしていた私は、ようやく我に返った。

『アンタ何しに来たのよ!』

呼んだ覚えはないわ、と。つい怒鳴り声を上げてしまった私に、あの男はいつもの頼りない顔で、パパに呼ばれたのだと答えた。客などろくに出迎えないパパが、エントランスにやってきた。パパは社長と少し話して、連れだって応接室に向かった。

『お前は部屋にいなさい』

大事な話だ、と。階段を下りようとした私に、パパはいつものキビシー顔で、お前には関係ない話だと、そう言った。胸騒ぎがした。この間の家出は片が付いたはずだ。部屋でうさちゃんと相談しても分かるわけ無いから、扉の前で立ち聞きしてたら、案の定だった。

「私が伊織の担当から退けば問題はありませんね?」
「ちょっと待ちなさいよ!」

ありったけの力で扉を蹴飛ばした。冗談じゃない。何が関係のない話よ。大アリじゃない。

「どういう事なの!?」
「伊織、部屋に戻れ」
「いやよ!」
「伊織」
「その話はもう終わったんじゃないの!?」

パパは一度これと決めるとテコでも動かない頑固な人間だ。家出でもしなければ、パパにガツンとやれなかった。だから、そんなパパが意見を何度も変えるだなんて信じられない。

「大人になれ。もうそんな歳ではないだろう」
「パパこそ、私を子供扱いしないでよ!」
「ああ、だからこそアイドルを止めろと言っている」
「私、アイドルは遊びじゃない。真剣よ!」
「だからこそだ。お前程度の才能では先が見えてる」
「私の事なんか全然見てない癖に、そんな事分かるわけ無いじゃない!」
「では、お前は星井美希に勝てるか?」
「目じゃないわ!」


「お前のプロデューサーは、勝てると思ってないようだがな」


プロデューサーの背中が強ばる。立ちつくすアイツの隣に行って、顔を見上げた。口をぐっと結んで、歯を食いしばっていた。パパに言いくるめられて、言葉を無くしてしまったんだろう。情けない…とは思うけど、あのパパが相手ならしょうがない。

がっちり握って震えているアイツの拳を握ってあげた。

はっとしてアイツは私を見下ろしてくる。一にらみしてやると、アイツは深呼吸してパパと目を合わせた。

「勝てないとは申しておりません」
「では星井美希にでも勝てると?」
「勝ちます」

プロデューサーは、躊躇無く言い切った。パパは部下を試す時の顔になる。汗の一つも見逃さない、あの目付きだ。

「根拠を示せるか?」
「そんなものありません」
「話にならない」
「伊織に才能がないというあなたの言葉にも、根拠はありません」
「私は伊織の実の親だぞ?」
「ですがあなたは、伊織を見ていません」

パパの目がますます鋭くなる。その視線をまともに受けて、平気な奴なんていなかった。声は震えている。呼吸も荒い。だけどアイツは私の手を握り返して、口を開いた。

「伊織は八重歯です。ご存じでしたか?」

プロデューサーの言葉に、私は息を呑んだ。社長も目を見開いた。でも、この場で一番驚いてるのは間違いなく、パパだ。

そう、私は八重歯だ。子供の頃、新堂が歯医者に連れて行こうとした事があった。だけど私は矯正を拒んだ。歯医者が怖かったのも確かだけれど、多分その時の私は違う理由で暴れたと思う。大きくなって、クラスメートから「八重歯の意味」を教えられた。それから私は、口を大きく開けて笑えなくなった。

「日本では八重歯は可愛いと良い印象があるようですが、海外では忌み嫌われています。欧米の中流以上の家庭では矯正は一般的な医療行為です。ご存じですよね?」

そう、八重歯があると言うことは「治療するお金もない庶民」という事だ。水瀬家は浮いたり沈んだりした歴史があって、上流階級の教養やらしきたりに疎くて、「成り上がり」と揶揄される時がある。だけどパパはこれぐらいのことは知っているはずで、それでも私はこの歳まで放って置かれた。

もしパパが歯医者に連れて行ってくれたなら……。

「新堂さんに聞いたことがあるんです。あなたにも報告したと仰ってました」
「初耳だ」
「いえ、2001年の9/11に報告したと。お忘れになるのも無理はないですが」

プロデューサーに問いつめられ、パパは顎に手をあてて床を見る。思い出そうとしてるみたいだけれど、呆然としてるようにもみえる。初めて見るパパの姿。

「伊織、本当か?」

私は、指で口を広げて見せた。小さく飛び出している犬歯を見るとパパはがっくりと、項垂れた。パパはアイツに言い負かされた。だけど、いい気味だとは思えなくて。いつの間に降り出したのか、外から雨音が聞こえてくる。

「水瀬。お前の立場も分かるが……何とかしてもらえんか?」

やりとりを終始気遣わしげに見ていた社長が声をかける。強く言えないのは、社長はパパと親友で、きっとパパが婿養子で親族内では立場が弱いって事も知ってるんだろう。すこし間が空いて、パパは顔を上げた。

「伊織にはアイドルの才能があると、君は言うのだね?」
「はい」
「では証明してもらおう」
「どうすれば分かっていただけますか?」
「アイドルアルティメット、知っているな?」

「それに勝てばいいのね」

何か言いたげなプロデューサーを抑えて、パパの前に出る。パパは黙って、私を見詰めた。厳しいけれど、いつもの人をすくめるような視線じゃない。その同じ目で、パパはプロデューサーに視線を移す。

「君の首ごときで、どうこうできる問題じゃない。欲しいものがあるなら掴み取るがいい」

パパが社長に目をやる。社長は頷くと、プロデューサーを見る。そしてプロデューサーは、私を見た。コイツ、もう腹は決まってる癖に。私は頷いて、最後の一押しをしてやった。

「わかりました」
posted by tlo at 01:01| ○○の仕事風