2009年07月04日

やよいと伊織のサバイバル8

水瀬グループの前身は大阪の商人だった。その名が初めて歴史に現れるのは幕末の動乱期である。薩長方につき巨利を得た当時の当主はその後も政商として富を蓄え、水瀬家を4大財閥に次ぐ大富豪にのし上げる。だが栄華は続かなかった。積極的に行っていた海外投資が世界恐慌により回収不能になったのだ。水瀬家は零落する。ところがその災いが転じ、太平洋戦争後の財閥解体を逃れた水瀬家は、戦後の混乱に乗じ現在の水瀬グループ、通称水瀬財閥を復活させてしまうのだ。機を見るに敏な伊織の性格は、乱世を生き抜いてきた水瀬家特有の気質なのだろうか。

彼女の父、現水瀬家当主の顔を見ながら俺はそんなことを考えていた。
俺と社長は今、水瀬家の応接室で伊織の父親と相対している。

事の発端は伊織が家出をした事にあり、その原因は彼女の父親が伊織にアイドル引退を命じた事にある。「パパが折れる」と伊織が言っていた通り、程なく執事の新堂さんからメールが入った。だが事態はそれで収まらなかったのである。数日後、社長と俺は、水瀬家に呼び出されたのだった。

「娘をポルノ女優にしてくれたのは君か?」

伊織の父親は俺を見るや開口一番、そう言い放った。肘掛けに肘を立て、拳に顎を乗せ、見下ろすようなその視線。だがその言葉とは裏腹に、表情からはあからさまな感情は見て取れない。言葉を選び、俺は口を開く。

「どういう事でしょうか?」
「伊織が出た映画のことだ。濡れ場をやらせたと聞いているが?」
「フランスでは大変高い評価を得ています」
「水の代わりにワインを飲んでる人間に、ポルノと芸術の区別がつくと思うのか?」
「お呼びの件は、映画の事ですか?」

彼は頭を振ると、社長に向き直った。立てていた肘を下ろし、身を乗り出す。社長もそれに合わせ、二人は顔をつきあわせる格好になった。

「高木。娘を預けたのは、貴様を信頼してのことだ」
「ああ、分かってるとも。私も大事な娘だと思っているよ」
「貴様は実の娘を、あんな映画に出せるのか?」
「呼び出したのはやはり映画の件か?」
「違う」
「はっきり言ってくれ。お前と俺の仲じゃないか」

伊織から、社長と彼女の父親は親友だと聞いていた。コネがあったからこそ、事務所に入れたのだと。俺に対しては表情一つ変えなかった彼も、社長に対してはわずかな苦渋を見せる。

「伊織を引退させて欲しい」

社長はそれを聞き、ソファーに体を沈めて天井を仰いだ。腕を組み、次いで深い溜息。

「正直に言えば、アイドルなぞすぐに飽きると思っていた。アレのいつもの気まぐれだと思っていたし、貴様だったら俺の娘だからといって特別扱いはしないと思っていたからな」
「だが彼女は成功しつつあるよ」
「優秀なスタッフに恵まれたようだな」

そして再び俺と目をあわせ、今度は溜息をついて見せた。俺は我慢できずに発言を求めると、彼はぞんざいに頷く。

「成功しているのは伊織の才能ですよ」
「アレに才能が無いのは、私が一番承知している」
「伊織のステージをご覧になったことはありますか?」
「無い」
「なら、そんな事は言えないと思いますが」
「では、聞こう。うちの娘は星井美希に勝てると思うかね?」

唐突にでたその名前に言葉が詰まる。社長さえも測りかねた巨大な才能に、俺は勝てると断言が出来ない。水瀬家当主は、その躊躇を見逃さなかった。

「一概に言えませんし、現時点で断定もできません。そもそも――」
「私の仕事の半分は、人を観る事だ」

俺の言葉を遮り、彼は語り出した。

「一流の人間と一流の仕事をすれば、最大の成果が得られるからだ。だから私はまず人を観る。そして本物の才能というものは、君の言うような『括弧付き』のものじゃない。あの娘が破格だということは、君も分かるだろう?」
「彼女を見たのですか?」
「どこかのパーティーでな。アレと同じ歳だとは信じられなかった」

伊織の才能を褒め、娘を持つ父親の感情に訴えるつもりだった。あの映画にこだわったのは、父親であれば当然の反応であろう。だが彼は、あたかも投資物件に対するように娘を断じた。例え虚勢でも「勝てる」と即答すべきだったのだ。伊織の強がりはこの父親とのやりとりの末に身に付いた習い性なのかもしれない。

「水瀬」

社長が口を開く。いつにない低い声で、親友に告げた。

「お前の娘はもう、765プロの看板アイドルだ。出演中のTVドラマも持ってるし、他にも契約している仕事がある。もう彼女は彼女だけの体じゃないんだ」
「そんなことは分かっている。だからこそ、貴様を呼んだんだ」

気色ばむ語調に自分でも気付いたのか、伊織の父親はいったん間をおく。社長も口をつぐみ、彼が落ち着くのを待つ。

「伊織は私の末子だ。水瀬の家名はどこまでもついて回るし、遺産相続の権利だって持っている。貴様の言うとおり、伊織は自分だけの体じゃない」
「……水瀬。何かあったんだな?」
「ああ、親族会議でな」


伊織の父親はソファーに身を沈めて俯いた。立ち入った話を予感して俺は席を立つ。確かに俺は伊織の担当プロデューサーだが、水瀬家の事情にまで首をつっこむつもりもなければ権利もない。だが、彼は俺を呼び止めた。

「何故です?」

即座に問いただす。

「君も事情を知っておくべきだ。また家出などしないよう伊織を説得してもらいたい」
「アイドルを諦めろと?」
「君には良くなついているようだからな」

考えるまでもなく返答。

「お断りします」
「君のプロデュースが原因としてもかね?」
「……どういうことですか?」

伊織の父親は水瀬家の現当主であり、彼女の二人の兄は一族の最高傑作と言われる切れ者で、いずれかが水瀬家を継ぐと目されている。伊織は結婚し家を出て行くことになるだろう。だが例え別姓となろうと、相続などの水瀬家に対する権利は行使できる。間違っても財産を狙いの人間を伊織に近づけるわけにはいかない。むしろ水瀬家の繁栄のために利用すべきだ。

「……政略結婚」
「優秀な部下を手なずけるため娘と結婚させる人間もいる。時代錯誤とは言うまい?」
「伊織は14歳ですよ?」
「君こそ伊織に、どこぞの小僧アイドルをあてがっているじゃないか」

ゴシップ誌が嘘を書き立てるのは目をつむってもいい。ポルノまがいの映画の事も「芸術」として大目に見よう。だが男との交際を、例えそれが上辺だけのものだったとしても許すわけにはいかない。「商品価値」が落ちるし、瓢箪から駒という言葉もあるのだ。

「それが原因ですか?」
「引き金にすぎん。問題が積もり積もった結果だ」
「なるほど。お話は分かりました」

水瀬家の特殊な事情は抜きにしても、親御さんからアイドル活動について理解を得るのは芸能事務所にとっては必須事項だ。そして親御さんからははっきりと、俺が問題だと名指しで指摘があった。ならば話は早い。

「私が伊織の担当から退けば問題はありませんね?」
「ちょっと待ちなさいよ!」

応接室に甲高い声が響く。振り返るとそこに、伊織がいた。
posted by tlo at 17:46| ○○の仕事風