2009年07月04日

伊織とやよいのサバイバル7

渋谷交差点を見下ろすビルの6階にあるそのカフェは、知る人ぞ知る穴場だった。伊織はアメリカ流の豪快なBLTサンドを頬張り、俺は二個目のホットドッグを囓る。ラジオ公録の後の遅めの昼食。この後は生田のスタジオでドラマ収録だ。俺達は黙々と平らげ、伊織はオレンジジュースを、俺はカプチーノをすすり、ようやく一息。

『あなたが好きになったんだけど、悪い?』

ふと、窓から見える大型ビジョンに目をやる。そこには伊織が出演しているドラマのCMが映されていた。てこ入れがなされたドラマは持ち直し、先週の回は視聴率が13%にまで達した。信号待ちをしている人達が画面を見上げる様をみて、伊織はほくそ笑む。

「私がここにいるってこと、教えてあげようかしら」
「そんな危ないマネは止めてくれ」
「そしたらアンタが守ってくれるでしょ?」
「どこぞの3世みたいに、お姫様だっこしてダッシュしろってか?」
「その調子でパパからも守ってね」
「………なあ、伊織」
「なによ。もうやっちゃったんだからしょうがないじゃない」

朝の挨拶の後、伊織は「家出してきた」と言った。あまりに事も無げに言うものだから一瞬聞き流してしまったが、事実であれば大事だ。あるいは、また何か試されているのかと考えを巡らしていると、伊織は父親とケンカしたと告白した。

『一日もすればパパが折れるわよ』

伊織は高をくくってそういったが、俺としては気が気でない。ケンカの原因が、アイドルを辞めろと父親が言った事にあったからだ。

「大体ね、パパは私を子供だと思って舐めてるんだわ。どうせ二、三日すればアイドル飽きるって思ってたに決まってるんだから」
「なんで今頃そんなことを言い出したんだろうな。うまく行ってないならともかく、もうメジャーの仲間入りしてるんだぞ」
「だからもう満足だろって言われたわ」
「……お前の父親は、お前という人間を分かって無いんだな」
「アンタの物言い、それ、なんか棘があるんだけど気のせいかしら」

と、俺を一睨だけして、伊織は溜息をついた。


「でもアンタの言うとおりよ。パパ、私のことなんか全然分かってないんだわ」

信号が変わる。画面を見上げていた人達は一斉に前を向き、横断歩道を渡り出す。交差点の中心で人の波が交叉した。

「そう言えばな」
「なによ」
「土8の出演依頼来たんだ」
「土8って、TVSじゃない!?」
「ああ、ドラマのTVSだ。主人公の娘役で準レギュラーらしい」
「もう返事したの?」
「いや」
「なんでよ」
「すこしぐらい焦らした方がメジャーっぽいだろ? それに今のドラマが15%行けばもっと有利な条件を引き出せそうだし」

俺は伊織と顔を見合わせ、にんまりと笑い合う。

『♪一生一度のチャンス逃さないわ』

交差点に4つあるモニターが一斉に同じ映像を流し始めた。テーマソングと共に、IUのCMが流れ出す。交差点を渡る人達は歩きながら、その映像に見入っている。
IUは一次予選が進んでいた。予選オーデションは民放各局の持ち回りで、週に一度生中継されているが、いずれも20%前後の高視聴率を叩き出している。それもそのはずで、オーデションは次々波乱が起こっていた。有利と見られていたメジャーアイドルが落選、あるいは苦戦しているのだ。参加アイドル達は大番狂わせを狙って、あるいは地盤を固める為にファン達に必死の呼びかけを行っている。いずれにしてもIUが業界を活性化させたのは間違いなく、主催者は枠を増やして参加者を再募集しているらしい。

「絶対手抜きしないで、モノにするの…か」

伊織がテーマソングを口ずさむ。窓の外を眺める横顔が考えているのは、自分が置かれている状況か、あるいは難関に挑んでいる親友の境遇か。

♪〜

携帯が鳴る。伊織はメールを確認すると、得意げな笑みを浮かべた。

「パパが折れたわ」

プロデューサーに、アイドルの家庭の事情に立ち入る権利などあるはずがない。だがアイドル活動そのものが原因であるというのなら、話は別だ。いずれ伊織の父親にも会うことになるだろう。出来るなら、アイドル活動だけでなく、伊織そのものを認めるようにしてやりたい。

「今日の収録、キスシーンよね」
「ああ、そうだな」
「アイツまた固まるわね。収録何時までかかると思う?」
「キスったってほっぺだろ?」
「唇だったら15%行くかしら?」

にひひっと笑って、伊織は席を立った。俺も腕時計を確認する。
時間はまだ十分にある。
そのはずだった。
posted by tlo at 17:45| ○○の仕事風