2009年06月26日

伊織とやよいのサバイバル5

首都高の道路状況は相変わらず快適だった。これだったら不況も悪くないと思うのだが、我らが765プロからもなるべく下道を使うように通達が回っていたりする。律子にどう言い訳しようと、俺は頭の中でシュミレーションを繰り返す。

「スピード落ちてるわよ! もっと上げなさい!」

後部席からハッパがかかる。今は待ち受ける前門の虎より、後門の狼の方が恐ろしい。アクセルを踏み込み、法定速度から10km程オーバーさせる。それでも伊織はいらだたしげに、腕を組み、足も組んでバックミラー越しに睨み付けてくる。

「もっと上がらないの?」
「これ以上上げたら捕まるよ」
「ばんばん追い越されてるじゃないの!」
「こんな事で捕まればまた記事にされるだろ。『セレドル水瀬伊織スピード違反。早く帰ってテレビを見たかったと供述』なんて物笑いの種だぞ」
「うっさいわね、分かってるわよ! 私は上げなさいっていってるの」
「分かってないじゃないか。せっかくヒロインに昇格したんだから、ここは大事にするところだろ?」
「分かってるわよ! だけど、やよいが出るのよ?」
「やよい大丈夫かな」
「大丈夫に決まってるじゃない!」
「じゃあテレビ見る必要ないな」
「私は見たいのよ!」

などとやりとりをしていると、車の流れが次第に緩くなってきた。さっき追い越していったワゴン車といつの間にか並んでいる。前の車のブレーキライト赤く光り、流れは淀みに変わり遂に止まってしまった。まもなくラジオの道路交通情報が事故の発生を伝え始める。伊織は絶叫を上げる。

「40分はかかるってさ」

ひとしきり叫き散らした後、伊織はぐったりとシートに身を沈めた。

首都高に乗るハメになったのは、ドラマの収録が押した為だった。今日の収録は主演のJプロのアイドルの彼とのラブシーン。伊織はそこで映画主演以来の本気の演技を見せた。映画の撮影ではベテラン俳優さえも刮目させた伊織である。ドラマ初出演の彼は完全に固まってしまった。NGに次ぐNG。結局そのシーンは脚本に手を入れて、彼は無言で立ちつくすだけに変更されたのだった。
が、それだけだったら下道で信号待ちでもしながらのんびりと帰れたに違いない。だが今日はアイドルアルティメットの初日であり、やよいの初陣が生中継される事になっていた。なんだかんだ言っても、やよいが心配なのだ。

「……あのバカが悪いんだわ。付き合う身にもなれっての」
「彼、初めてのラブシーンだったんだろ? しょうがないよ。それにお前、本気だったじゃないか」
「あったり前じゃない。ヒロインの魅せ場よ。ったく、あの程度で固まるなんて、先が思いやられるわ」
「少しは相手に合わせやってても良かったんじゃないのか?」

伊織は答えずに、鼻で笑った。

ドラマは視聴率一桁の可能性が見え始め、てこ入れがなされた。視聴者は目が肥え、アイドルが出ているというだけ「学芸会」ではもう満足しない。学園コメディから本格的なラブロマンスへ脚本レベルから軌道修正した上で、「演技派」伊織がヒロインとして抜擢された。スタッフロールも主人公に継ぎ2番目の位置に昇格。当初は学級委員長役のサブキャラだったことを考えれば大抜擢である。実力で選ばれたというなら、伊織も手放しで喜んだろう。だが、これにはJプロの思惑も絡んでいた。

『うちの○○とおたくの伊織ちゃんを準公認カップルという形でプロモートしようとおもってるんですよ』

アイドルの色恋沙汰がスキャンダルとして流布される昨今、逆に「爽やかな交際」をアピールするのは新しいのではないか。「平成の百恵と友和」。それが彼らのプランだった。平成の友和となる彼は伊織に好意を抱いているという。先日のインタビューで、外見より内面を評価したことが彼には好印象だったそうだ。で、平成の百恵はといえば

「冗談じゃないわ!」

と期待通りの返答。

だがこのプランは非常に説得力があり、魅力的でもある。現状より上のステップを狙うには、女性からの支持は必須だ。プロモートが成功すれば、彼が抱えている女性ファンを伊織の味方に付ける事ができるだろう。逆に反発を喰らう可能性もあるが、そこはJプロ側が徹底的にフォローすると確約した。先の写真週刊誌の時にも、彼らはファンに働きかけたという。律子も言っていたが、確かにネットの反応は冷静だった。Jプロがプッシュするなら、それを利用するのは既定路線だ。その利を説くとしぶしぶではあるが、伊織もプランに乗ってくれた。

「でもあいつ、演技だとか仕事だとかちゃんと分かってるのかしら」
「ん? 何かされたのか?」
「逆よ、妙に意識しちゃって打ち合わせする時にも固まってるの」
「伊織の恋人役になんかなれば緊張するさ」
「そりゃそうだけど、いつまでもそんなじゃ私も困るわ」
「生真面目な子なんだな」
「そりゃ悪い奴じゃないけどね」

伊織はつまらなそうに、肩をすくめた。

会話がとぎれた。進展のない交通情報から、AM局にバンドを変える。野球中継を聞こうとすると、伊織が不平を漏らした。俺はしぶしぶ、自分の携帯をとりだして渡す。春に買ったワンセグ放送の見れるモデルだ。

「ちょっ、こんなの持ってるなら最初から出しなさいよ!」
「画面小さいからな」
「この際構わないわ……ってこれどうするの?」

最初から出していれば、そのうち画面が小さいと文句を言い出すのは目に見えている。タイミングというものは重要なのだ。


携帯の画面を開き、ぽちぽち操作する。「アイドルアルティメットグランドオープニング」と称し、番組はもう始まっていた。

「あ、日高舞だ。懐かしいな」
「誰それ」
「お前が産まれる前に活躍していたアイドルだよ。結婚して引退したけど」
「ふーん」

どうやら「輝けるアイドルの歴史」のようなコーナーを前振りにしているらしい。懐かしい映像と共に、本人も登場して当時の思い出を語っている。

「あら、神長瑠衣もアイドルだったの?」
「知らなかったか?」
「女優だとばかり思ってたわ」
「アイドルから女優に転身したんだ。そういう意味でも伊織の先輩だな」

時代は次第に下り、「今」のアイドル達が10人ほどまとめて紹介される。その中には春香の姿の姿もあった。ステージにならんだ10人の中で、春香は引きつった笑みを浮かべて立っている。司会者に話を振られ、コメントを返すのも一杯一杯という様子。トップアイドルになったというのに、こういう所は春香は全く変わらない。

「春香またよそ見してる」
「緊張すると出るんだな」
「またプロデューサーに叱られるわね」
「……そうだな」

『では』
『いよいよですね』
『はい、出場するアイドルをご紹介しましょうか』
『そうですね』
『アイドルの祭典アイドルアルティメット!』
『明日のトップアイドルの入場です!」

司会者の声と共に、ステージにいた10人のアイドル達が歌い始める。『Colorful Days』というタイトルのその曲は、アイドルアルティメットのテーマソングなのだそうだ。

『♪一生一度のチャンス逃さないわ』

歌に合わせて、出場アイドルが一人一人紹介され、背後のモニターにはそのアイドルの簡単な経歴が表示される。そしてひな壇の上にアイドルが登場すると、会場からそのアイドルの名前を叫ぶ歓声が上がる。

「おー、結構すごいメンツだな…お、やよいだ、やよい呼ばれたぞ」
「ちょっと! よく見えないわよ」
「おちつけって、おい」

伊織は後部座席から乗り出してくると、助手席に滑り込む。小さな画面の中にやよいが現れる。自分の名を呼ぶ歓声に応え、手を振りながらやよいはひな壇を降りてきた。

「やよい落ち着いてるな。これだけ大きなステージは初めてだろうに」
「やよいは昔からそうだったわ」
「伊織がガチガチになってるのに、やよいは平気だったりな」
「余計な事まで思い出さないでいいの」

と、前の車が動き始めた。俺は伊織に携帯を渡し、ハンドルを握る。のろのろとした流れは、事故を起こしたと思われる横転しているスポーツカーの横を通りすぎると、いつもの状態に戻った。食い入るように画面をのぞき込んでいた伊織も携帯から目を離す。CMにでも入ったのだろう。

「この後本番だって」
「一番手か」
「ええ」

アイドルアルティメットはオーデションからテレビ放映される。普段視聴者が見ることの無い真剣勝負の場である。さらに地上デジタル放送の機能を使ってオーデションに参加まで出来る事になったという。ベテランのプロデューサーでさえ何が起きるか分からない、未知の戦場となるだろう。ちらりと見た伊織の横顔はまるで、自分がオーデションに望む時のように強ばっていた。
posted by tlo at 21:00| ○○の仕事風