2009年06月26日

伊織とやよいのサバイバル4

「千早。歌っているときは、どんな風に自分を意識する?」
「そうですね。歌そのものになりきろうとは思っています」
「へえ、ちょっと詳しく聞かせて」

やよいを特訓するトレーナー二人に「ヴィジュアル」について私見を聞く。まずは千早だ。

「人はなぜ、歌に感動するのかという事を考えました。まず歌は歌詞と曲に分解できます、曲はさらにメロディーとリズムとコードに分解できます。ですが、人は音符に感動するわけではありません。無論「泣かせ」のコード進行というものは存在しますけど」

千早はここでいったん間をおいて、俺達を見回す。やよいが話を全く理解してない様子なのを見て取り、千早は話を切り上げようとするが俺は最後まで話すよう促した。

「つまり、感動する歌は歌詞も曲もそしてその歌い手さえも不可分なものになるのではないでしょうか? だから私は『歌になりたい』と思っています」
「うん。面白いね」
「あくまで現時点での考えなのですが」

次に伊織に話を向ける。伊織は涼しげに答えた。

「最強美少女伊織ちゃんって思ってるわ」
「まあ、そうだろうね…じゃあ、伊織ちょっといいか?」

ハンディカメラを借りると、俺は伊織に向けて構える。俺の意図を察した伊織が、うさちゃんをやよいに預ける。俺は指を3本立てる。伊織はポーズを取った。それを見て俺は、指を一本ずつ折っていき『キュー』と合図を送る。
ロングショット。伊織は後ろ手になって、カメラに対して斜に構える。カメラを寄せる。伊織はあごを引き、カメラを上目遣いでみやる。わずかにカメラを引き正面から側面に回る。すると伊織は背を向けて、顔だけ振り向き視線をよこしてみせた。

「カット」

今の撮影結果をやよい達に見せると、驚きの声が上がる。

「伊織ちゃんカワイイ!」

伊織はどうすれば自分を一番可愛く見せるか完全に理解している。故に、カメラ位置に対して瞬時に最適のポージングが取れる。もちろんケースバイケースでポーズは変えてくるだろうが、それも「理想の自分」を常にイメージ出来ているからだ。

「伊織、お前テレビ見てる時間より鏡見てる時間の方が長いだろ」
「それぐらい当然じゃない」
「伊織、それはあなただけよ」
「アンタだって、テレビ見てるよりCD聞いてる時間の方が長いんじゃない?」
「それは、そうね」

それは千早に対しても言えることで、彼女も「理想の歌」を常にイメージしている。もっとも、「歌になりたい」という言葉は俺の想像を超えていた。千早とこうして話すのはいつかの蒼い鳥以来だったが、彼女も大きく羽ばたいたという事なのだろう。

「私、そういう理想のイメージって全然持ってないからダメなんですね」
「そういう訳じゃないさ。じゃあやよい――」

俺はやよいにさっきの童謡を歌うように指示を出すと、そのまま地べたに体育館座りしてやよいを見上げる。やよいはきょとんと立ちつくす。

「やよい、俺を客と思うんだ」
「お客さんですか?」
「そう、営業先だと思って」
「あ……はい!」

俺の意図を理解したのか、やよいは頷いた。だが、彼女は俺の前にしゃがみ込んで歌い出す。それは俺も予想外の行動だ。

「♪〜」

やよいは即興で身振り手振りを作って歌う。思わず指でリズムを取り出すと、今度は立ち上がってダンスを始めた。弾むようなリズミカルなステップに、つい体もつられて動いてしまう。

「ありがとうございました!」

歌い終わって、やよいは深々一礼。

「やよい。なんで最初にしゃがみ込んだのか教えてくれるか?」
「あ、はい。プロデューサーさんしゃがんで私を見上げたから、もしかしたらちっちゃい子の振りをしてるんじゃないかなーって。だから最初は目線を合わせた方が良いって思ったんです」
「やよいはすごいな」
「え?」

やよいは、伊織や千早のような「理想のイメージ」を「自己」に持たない。「お客さんが楽しんで元気になる」理想像を「外部」に持っている。目の前にいる客の心を掴み、客の反応に素早くリアクションして気分を盛り上げていく。やよいは外回りの営業やライブ中心に活動してきた。やよいにとって「客」は、やよいを見に来た「ファン」でなく、ただそこに通りがかった「通行人」である時もあった筈だ。

「お笑いの前座に立ったときもありました!」
「え、本当か?」

やよいのプロデューサーは頭を掻きながら頷いた。

「はい。お笑いライブを見せに行ったんです。芸人ってのはその辺すごくシビアですから」

そこでやよいは、彼の師匠だった大物芸人に会ったという。その芸人が舞台に上るかと言ったのは冗談だったそうだが、やよいは何か感銘を受けたらしい。

「初日はぼろぼろでしたわ。でも、僕がすこし教えたらすぐに舞台に慣れちゃいまして」
「掴みが大事だって、教えてくれました!」

伊織と千早は驚いたように顔を見合わせる。それは俺も始めて聞いた話だった。確かにやよいのライブ感覚は765プロアイドルの中でも際だっていた。だがここまで研ぎ澄まされたのは、彼女のプロデューサーの功績であろう。

「じゃあ、やよい。カメラの先にいるテレビを見てる人を意識してみて」
「あ、そうか。私、ファンの人達の顔が見えないからうまく行かなかったんだね」
「私がカメラマンになるわ。伊織は高槻さんにチェックを入れてあげて」

3人のヴィジュアルに対する考えの違いはこれで分かった。後は彼女たちに任せても大丈夫だろう。千早の言葉ではないが人に教えると言うことは自分で気付くという事でもあるのだ。俺とやよい担当の彼は、下がってベンチに腰を下ろす。彼女たちが何かを得る事を期待して。
posted by tlo at 04:11| ○○の仕事風