2009年06月25日

伊織とやよいのサバイバル3

「済まないな千早。こんな事に付き合わせちゃって」
「いえ。人に教えることで気付くことは多いですので、こういう機会はむしろありがたいかもしれません」
「そういってくれると助かるよ」

千早はそう言うと、視線を伊織とやよいに戻した。夜の児童公園の外灯の下、二人は「レッスン」をしている。

「いい、やよい。カメラが来たら、くっと向いて、ぱんってポーズ決めるのよ」
「くっと向いて、ぱんだね!」
「そうよ、やってみなさい」

ハンディカメラを構えたやよいのプロデューサーが正面からやよいの側面に回り込む。やよいはカメラを目で追って、ポーズ。

「だめよ。それじゃくりっと向いて、ぽんっじゃない」
「じゃ、じゃあこうかな」

家庭の事情でやよいは遅くまで仕事やレッスンをすることが出来ない。さらにやよいはその活動方針から営業で外に出ることが多く、レッスンに時間を割くことも出来ない。そこで考え出されたのが、この「公園レッスン」だった。
デビュー直後、お披露目営業としてやよいと一緒に活動することが多かった伊織もこの公園レッスンに付き合ったものだった。まだ一年も経ってないのに、二人がレッスンする姿に郷愁さえ抱いてしまうのは、芸能界という世界の時の早さなのだろうか。

「違う。それはぐりっと向いて、ばんっよ」
「うー。むずかしいよ、伊織ちゃん」
「ちょっとアンタ! やよいになに教えてたのよ!」
「あ…。ゴメンな伊織ちゃん」

やよいのプロデューサーに当たりだした伊織を見かね、俺はベンチを立ち上がる。

この「特訓」は伊織が言い出したものだった。やよいは「ヴィジュアル」面に弱い。それが伊織の指摘だった。

『このままじゃ、アイドルアルティメットで勝ち残れないわ』

だがヴィジュアルには一概に割り切れない難しさがある。ポージングであるとか表情であるとかメイクであるとかコーディネイトであるとか、実に様々な要素が絡み合うのだ。伊織が千早を引っ張ってきたのも、彼女がそれを一番良く知っているからだろう。

「伊織、その教え方じゃ誰にも分からないよ」
「でもこれぐらい簡単な事じゃない」
「伊織。あなたには当たり前な事でも、高槻さんには分からないんじゃないかしら」
「でもアンタだったら分かるでしょ? 千早」
「うー。こんな事も分からないって、私ダメかも……」

頭を抱えるやよいに、伊織は慌てだす。千早は伊織の教え方に問題があると指摘する。いつもなら言い争いになるはずの展開だが、ここで伊織が強弁すればますますやよいが落ち込む事になるだろう。ばつの悪くなった伊織は、千早に任せると言ってすごすごと引き下がってしまった。

「高槻さん。あまり難しく考えることは無いと思うわ」
「そう、なんですか?」
「ええ。例えばこの歌」

と、千早は童謡を歌い始める。先月発売したアルバムがミリオンに達しようというトップアイドルが歌う童謡に、その場にいた一同が聞き惚れる。

「ね? 簡単でしょう?」
「え?」
「あ……つまり……犬のお巡りさんになったつもりで歌うの」
「あ、そういうことですか。 わかりました!」

同じ歌をやよいが歌う。純粋に歌としては千早と比ぶべくも無い。が、聞いていると自然と和む歌声は、やよい特有のものだ。

「高槻さん。ちょっと待って」
「なんですか?」
「そこで笑みを浮かべるのはおかしいわ。犬のお巡りさんも困ってしまって泣く所よ」
「あ、そうか…」
「なんで笑ったの?」
「最後で泣いちゃうと、子供達も喜ばないっかなって思ったんですけど…」

その言葉に千早はハッとして、考え込み始めてしまった。

「すいません、千早さん。私間違ってますよね?」
「いえ、違うわ。高槻さんの方が正しいかも知れないと思ったの」
「え、そうなんですか?」

「つまりこういう事だな」

熟考モードに入ってしまった千早に代わり、今度は俺が前に出る。特訓がはかばかしくない理由。それは彼女たちのビジュアルに対する考え方の違いにあった。
posted by tlo at 01:40| ○○の仕事風