2009年04月29日

interlude1

#SP世界へのつなぎ

「プロデューサー」
「なんだい?」
「……キスして」
「え?」
「キスして欲しいの」
「そんなこと出来る訳ないだろっ」
「プロデューサーは私のこと、嫌いなの?」
「嫌いだとかそういう事じゃないだろ?」
「私にはそういうことなの! だってプロデューサー言ったじゃない! 躰は男に預けるけど、心を預ける訳じゃないんだって!」
「……」
「私、明日、「営業」………初めてだから……心を、私の心をプロデューサーに……」
「……それは出来ないよ」
「なんで!?」
「聞いてくれ、僕はプロデューサーで君はアイドルだ。こんな関係がばれたら、君の「営業」も無駄になる」
「……」
「分かってくれるね? 君の為なんだ、イオリ」



「カット!」

映画「Lo.li.ta.」の撮影は順調に進んでいた。一カットに一日かかる、というのが映画の撮影に対する印象だったが、この2ヶ月で全体の5割の撮影を終えている。伊織が出演するパートにすれば7割といった所だ。インディーズ上がりでリアリティを重視するこの映画監督は早撮りで馴らしていたのだった。

「お疲れ様」
撮影を終えた伊織に声をかける。都内のオフィスビルの一室を借りて作ったセットに西日がさして、濃い陰影が出来ている。逆光になった伊織の顔を見て、俺は息を呑む。そこにいたのは、恋する少女だった。
「...はぁ」
大きな溜息をついて、イオリは伊織に戻った。この撮影を始めて改めて知ったのは伊織の表情の豊かさだった。もちろんそれは演技の上での「仮面」なのだが、分かっていても、それに今日のようなことは何度もあったのに、俺は慣れないでいる。
「……どうした? 急に溜息ついて」
「アンタの顔、ホント冴えないわね」
「悪かったな。何だったらあっちの『プロデューサー』に鞍替えしたらどうだ?」
ミナセイオリのプロデューサーを演じるのは若手舞台俳優で、テレビの露出こそ少ないものの演劇界隈では人気の、いわゆる「イケメン」俳優である。
「あんなヤサ男だったら、アンタの方がずっとマシよ」
「お前が特殊な嗜好の持ち主だったなんて初めて知ったよ」
「なんて面白い冗談なのかしら。ひっぱたくわよ?」
「ひっぱたかれて悦ぶ趣味はない。俺もノーマルだ」
彼の演じるプロデューサーは担当アイドルには優しい、だがただ優しいだけの男だ。人格的には全く問題のない「いいひと」ではあるが、芸能界においては欠点でしかない。この業界で生き残るための覚悟を、彼は担当アイドルに全部押しつけ破滅させることになる。伊織が言う「ずっとマシ」は俺の「仕事に対する評価」なのだろう。

「そう? だったら――」

俺がそう納得しかけたところで、伊織の表情が沈む。物憂げな眉。潤む瞳。唇が小さく動いて。

「キスして」
「冗談だろ?」
「冗談よ」

だが、伊織はなお俺を見詰める。心拍が一段階早くなるのを感じて、俺は目をそらした。

「帰るぞ」
「ええ」

確かに撮影は順調だった。だがこれからは伊織にとって試練となる。「濡れ場」の撮影が残っているのだ。上映コードや伊織の年齢を考えればヌードの露出はありえない。だが、監督はコードぎりぎりの描写を構想していた。伊織も俺も過激な描写は織り込み済みではあったが、シナリオは最終稿までに何カ所か修正を求めざるを得ないほどのものだった。ただでさえ映画という「アウェイ」にいるのだ。伊織がナーバスになるのも無理はなかった。

帰りの車中。FMラジオから流れるヒットチャートで誤魔化された静寂。

「なあ伊織」
「何?」
「キスして欲しいのか?」
「じょ、冗談って言ったじゃない」
「ならいい」
「……バカじゃないの?」
『♪カッコ悪いわよ』

ラジオから美希の歌声が流れ始める。「オーバーマスター」、それが美希の移籍第一弾シングルだった。発売と同時にオリコン1位。発売1ヶ月経った今も上位にランキングされ続けている。

美希の移籍は765プロに大きな影を落とした。特にアイドル達にはショックが大きかったようで、彼女たちには「美希は強引な引き抜きにあった」とだけ伝えられ、後の対応は担当プロデューサーに任せられた。美希と仲のよかった亜美と真美の落ち込みはひどいものだったが、伊織といえば「表向きの説明」を受け入れ平然としてるどころか、他のアイドル達を励ます役目を買って出た。

『アンタ達、落ち込んでる暇あるの? そんな事してる間に美希に追い越されても知らないわよ?!』

いっそ移籍した方が堂々と争えると、うそぶきさえしたものだ。仲が悪いとまでは行かずとも、元々美希とは反りの合わなかった伊織である。その様子を見て、俺は特別な対応は必要がないと判断していた。


「ねえ」
「なんだ?」
「美希のこと、聞かせてくれない?」
「今更か?」
『♪興味あるわけないじゃない』
「役作りよ」
『♪わかんないかな...』
「ああ、分かった」

posted by tlo at 01:15| ある日の風景的な何か