2009年03月05日

伊織と俺のプロデュース16

広いリビングに置かれた調度には高級感が漂い、壁一面の窓からは都心部の摩天楼が一望できる。毛足の長い絨毯に浮かされるようで、地に足がつかず落ち着かない。伊織は勧められたソファーに座ると、脚を揃えて横に流し、両手を腿に置く。教えてもないのにこういう仕草が自然に出てくる辺り、良家の躾の賜だろう。俺は伊織の背後に控えるように立つ。
シティホテル最上階のスイートルームがカメラテストの会場だった。正面のソファーに座っているのは3人。左には件の監督、右の席にはスーツに身を固めた中年の女が座る。そして中央には外国人の男がいた。初老で痩せてはいるものの、かっちりとダブルのスーツを着こなすタフなビジネスマン風の彼こそが、例の大物プロデューサーだ。今回の映画には余程力を入れているのだろう。そうでなければ多忙を極めると言われる彼が、日本にまでやってくることはあり得ない。
まず女が自己紹介をした。彼女は中堅配給会社の買い付け責任者で、時折プロデューサーとしても名前を連ねる事を俺は思い出す。彼女は続けて、外国人プロデューサーと監督を続けて紹介した。プロデューサーは日本流のお辞儀をして見せる。

「では最初に自己紹介をしていただけますか?」

緊張をほぐすように、彼女は優しい声でゆっくりと伊織に問い掛ける。監督がソファーから立ち上がって三脚に据えられたカメラを回し始めると、伊織は四十八の猫かぶり技の一つ「高度に深窓化したお嬢様は、皇族と区別がつかない」で、ゆっくりと質問に答えていく。
俺達の不安が杞憂だったのかと思うほどに、無難が質問が続く。だが伊織は緊張を解いていない。現に監督はろくにカメラをのぞき込もうとしない、外国人プロデューサーに至っては通訳もついていないのだ。伊織は奇をてらわない無難な答えを返していく。そう、まだ「本番」じゃない。

「ところで水瀬伊織さん」

柔らかい声が、わずかの緊張を帯びる。伊織はその変化を逃さない。短く返事をすると、口元をきゅっと結ぶ。

「この映画では、いろいろと刺激的な表現をする予定です」

監督はようやくカメラをのぞき込んだ。レンズがせり出され、絞りが開かれる。

「水瀬さんは、ヌードを見せる事ができますか?」
「必然性があれば」

躊躇うことなく、気負いすることなく、伊織は答えた。この手の質問は答えそのものよりも「女優の資質」が問われる。奇をてらわずに堂々と答えた事は正解だろう。だが、かつて大女優と呼ばれた人間は、この問いに対したびたび名言を残している。伊織の答えは無難に過ぎて凡庸だ。らしくない。伊織の様子を窺おうと腰をかがめたその時、監督が口を開いた。

「必然性があれば、脱ぐのかい?」

伊織は監督に顔を向ける。監督はカメラから目を離していない。回り続けるカメラが、問いに頷く伊織の姿を捕らえる。

「じゃあ脱いでくれる?」

何事でも無いかのように、監督は伊織に服を脱ぐよう指示を出す。外国人プロデューサーは足を組み替え、静観の構え。配給会社担当も、表情を変えずに事の成り行きを伺っている。本番だ。



「待ってくれ」

抗議の声を上げる俺を、伊織が制した。

「お伺いしていいですか? 監督さん」
「何か」

俺を止めた片手をゆっくりと下げると伊織は、レンズに視線を向けた。

「私の裸は、監督さんに必然性がありますか?」
「当然だ」
「先に申し上げておきますが『映画の必然性』程度で、私が脱ぐと思われるのは困ります」
「何を言っている? さっきは脱ぐと――」

伊織が首を横に振ると、監督は口をつぐんだ。異常を感じたプロデューサーが配給担当者に通訳を受け始める。十分に間を取って、伊織は口を開く。軽やかな声は耳に優しく、だが放たれた言葉は頭を横殴りにする。


「あなた、『私の裸』を見たいの?」


「物語の必然」「芸術性」「ドキュメンタリー」。どんなに言葉を取り繕うと、その根にあるのはどうしようもない「男の欲望」だ。大人の虚飾を見てきた伊織は、他人にされる嘘やごまかしを嫌う。だが伊織にとっては、それでも隠して欲しい「真実」であったに違いない。しかしあの夜に突きつけられた現実を、伊織は受け入れた。
その上で伊織は「私の裸」の必然性を問う。物語が少女の裸を欲するというのなら、それは伊織である必要はない。それこそ伊織と役を争うあの少女でも構わないのだ。だが伊織はそれを否定する。見たいのはこの躰だろうと問いつめる。伊織は己の裸体こそが至上の価値と主張したのだ。その強烈な自負心は、稀代の女優だけがもつものだ。

「そこまで言うなら見せてもらおう」

それは伊織の挑発だ。「作品は女優に従属するもの」と言われ、この作家主義の監督がうんとうなづくはずがない。伊織はあの監督を自分の虜にしようと誘っている。これはあの夜、心を弄ばれた伊織の復讐に他ならない。
伊織は立ち上がると、セーラー服のスカーフに手にやる。するりと衣擦れの音がして、深紅のスカーフが絨毯の上にはらりを舞い落ちる。服の裾に手が伸び、躊躇い無く服がめくり上げられる。

「はい、そこまで」

配給担当者がカメラの間に割って入る。伊織はへそを見せた所で動作を止めた。

「カメラテストは終わりです。お疲れ様」

posted by tlo at 20:00| ○○の仕事風