2009年03月03日

俺と伊織のプロデュース15

カメラテストには思ったより多くの参加者があり、シティーホテルの小宴会場は息苦しささえ感じられた。大手プロダクションの社章をつけたマネージャーらしき男さえ見かける。だが彼らの傍らにいるのは駆け出しかあるいはデビュー前の、俺も顔を見たことのないアイドルだった。
あまりにスキャンダラスな内容だ。リスクとリターンを天秤にかけて、失うものがない新人をあてがってきたのだろう。だが監督の意図を明確に察すればメジャーアイドルを投入するのが正解で、そうなればメジャー一歩手前の伊織の勝算は薄くなっていた。そこまでは計算通り。
誤算があるとすれば、伊織の仕事を「寝取った」彼女もテストに参加していたことだ。驚きを隠せずあんぐりと口を開けるしかなかった俺の目の前を、彼女は伊織に挑発的な笑みを向けながら颯爽と歩き去っていった。彼女の図太さは最早賞賛されるべきものだろう。彼女は盗み撮りの件を知っているのか。

――いやだからこそあの監督は彼女を呼んだのかも知れない。

ホテル内のカフェで、エスプレッソの泡をすすりながら俺は考える。主催者側からは俺達のテストの順は一番最後になると伝えられた。最低1時間はかかるだろう。彼女と顔を合わせた伊織を落ち着かせるために待合室から連れ出して来たのだが、当の伊織は平然とオレンジジュースを飲んでいる。
もしかしたら伊織は、もうあの夜を乗り越えているのかも知れない。全ては俺の取り越し苦労で、目前に控えたテストも伊織にとってはいつものオーデションと変わらないのかも知れない。いずれにしても、テストには学校の制服を着てくるように伊織に指示した昨日の時点で、俺の出来る事は残ってない。腕時計を確認し、俺は殆ど手つかずだったエスプレッソを一気に飲み干す。

「そろそろ行こう」
「先に行ってて」
「どうした?」
「乙女に聞いちゃいけない用事」

確かにあのアイドルがテストに参加していたのは伊織にとっても驚きだったが、あの悪趣味な監督と、あの厚顔な女の事を考えれば別段不思議なことではない。手洗いを終えた伊織は、手の甲を嗅いでみる。業務用の消毒石鹸のにおいが鼻を突き、顔をしかめる。

「全く。アメニティにも気を遣いなさいよ……」

手洗いの広い鏡で、伊織は鏡の向こうの自分を見つめる。しばし見つめ合った後、伊織は表情を作る。喜怒哀楽を素早く切り替る、いわば顔の筋肉のマッサージだ。

よし、と気合いを入れ伊織が振り向いた直後、手洗いに「彼女」が入ってきた。ばったり顔を合わせた二人は、そこで立ち止まる。互いの感情はともあれ、見知らぬ間柄じゃない。にやにやと小馬鹿にした笑いを少女が浮かべると、伊織はそれを無視して歩き去ろうとする。

「無視するの?」
「アンタがカワイイ子犬だったら、餌をあげなくもないけどね」
「かませ犬の癖に威勢が良いわね」
「どういうこと?」
「このカメラテストはね、茶番なの」

少女は得意げに、ご指名でテストへの招待状が来たことを話す。確かにこのカメラテストは茶番だろうと伊織は思う。だけど彼女は、自分が呼ばれた本当の理由を知っているのだろうか?

「そうね、でもアンタが合格するとは限らない」

プロデューサーが言っていた通り、あのド変態はあくまでリアルにこだわるつもりだ。そしてあの夜カメラに痴態を晒したのは、コイツだけじゃない。確かに茶番だ。そうテストは事実上、「マッチレース」なのだから。

「な、なに強がってんの? 負け犬が遠吠えするには早いんじゃない?」

しかしマッチレースとはいえ、争うべきは目の前にいるこの少女じゃない。業界の不正には吐き気こそすれ、正義をかざして戦うつもりもない。抗う相手がいるとすれば、この巡り合わせこそだろう。

研ぎ澄まされていくものを感じ伊織は、挑発に一瞥だけくれて、澄まし顔で手洗いを後にした。
posted by tlo at 20:56| ○○の仕事風