2009年03月02日

俺と伊織のプロデュース14

昼下がりの公園には遠くのベンチに座る老人以外誰もいない。どこにでもありそうな児童公園に子供の姿がないのは平日と言うこともあるだろう。ココアをすすりながらぼんやりと空を眺める伊織を見つめながら、デビュー間もない頃の会話を思い出す。あの時は、公園で二人きりだった。

あの頃は全く仕事が無かった。それなりの勝算を持って芸能界に飛び込んできたであろう伊織には耐え難い日々であったろう。本気で辞めたいと漏らしたのは、後にも先にもあの時だけだ。それに比べれば今の状況はまだマシといえる。伊織の目の前にあるのは、先の見えない不安ではなく乗り越えなくてはいけない壁だ。

あの夜の出来事を超える事で、伊織は一皮むけるだろう。

少なくとも今伊織が抱いている「カワイイあの子はみんなのあこがれの的」などというアイドル像は捨ててもらわなくてはならない。これはあの誓いを実現させる為の、長い道のりの第一歩となろう。だがその伊織が、今ひとつ乗り気でない。負った傷は思った以上に深かったのだ。

「そろそろ移動しようか」

俺の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、伊織はココアの缶を傾ける。もう一度呼びかけると伊織はようやく溜息をして、俺に向き直った。

「アンタ、いっつもこんな営業してるの?」
「うちは社員が少ないからね」

今やっているのは新規開拓の営業だ。この手の営業には普段伊織を連れて行かない。伊織向きじゃないし、彼女をくさらせる事になりかねない。現に今も、広告代理店の担当者にアポをすっぽかされて時間を潰していた所だ。

「なんで今日は私を連れてきたの?」
「現実を知ってもらおうと思った」
「厳しい現実ってやつ?」
「いや、ただの現実さ」
「なによそれ」
「誰もお前を、水瀬のお嬢様だからって特別扱いしなかったろう?」

伊織は芸能界に入ってからは水瀬財閥の影響力を行使しようとしない。むしろ仕事の間は水瀬の名前を忌避するようだった。損得と打算で動く世間を、伊織は己の力だけで泳ぎ切ろうとしている。計算高い癖に、妙なところで不器用なのだ。この娘は。

「だからあの記事は真実じゃない」
「でも、火のないところにはって言うじゃない」
「そりゃ真っ赤な嘘って訳でもないだろうな。お前が水瀬のお嬢様っていう事実は動かせない。だけど今日の営業が『現実』だ。お前がお前の父親の名前を出さない限り、世間は『平等』に扱ってくれるよ」
「……つまり私には価値が無いって事なのね」
「相応の価値しか認めないって事だよ。そして今は、お前の真価が知られてないだけ」
「それって、アンタが仕事出来ていないって事じゃないの?」
「ごめんな」

率直に謝る。事実そうなのだからしょうがない。伊織は歯ぎしりしてひとしきり睨むと、口をとがらせてそっぽを向いてしまった。

「言いたいことがあるなら言ってくれよ。黙っていられると気味が悪い」
「言い訳ぐらいしなさいよ。あっさり謝られたら文句も言えやしないわ」
「ない」
「じゃあ私も言わない」

数日前まで散々やりあっていたのに、ここ数日はこの調子だ。方針が気にくわない訳じゃないだろう。徹底的に伊織に喋らせて反撃に転ずる俺の戦術に対応してきたのだろうか。伊織との会話は往々に高度な心理戦になる。男女の恋のさや当てならば、ここは相手が折れるまで持久戦がセオリーだがコミュニケーションが減るのは仕事として良い傾向とはいえないだろう。

「なあ伊織」

俺が話しかけると、伊織が顔を向けてくる。話したくも無いという訳では無いのだろう。のぞき込んでくる彼女を見て、思う。
綺麗な娘だ。
彼女の成長を見ていたい。
だが、それは叶わぬ夢だ。
こみ上げる愛おしさに、言葉が溢れた。


「俺、お前のことが好きになんだろうな」




直後、伊織が飲みかけていたココアを噴き出した。

「ちょっ、おま、汚い!」
「あ、アンタ何言ってんのよ!?」
「何って、俺はお前が……」

そこで自分が言った言葉を思い出し、思わず息を呑む。

「おま…何勘違いしてんだ!?」
「紛らわしいこといってんじゃないわよ! このバカ!」
「ていうか、プロデューサーがアイドルに手を出すとかあり得ないだろ!」
「で、でも美希の奴がプロデューサーと!」
「マジか!? 何考えてんだ14歳の子供相手に!」
「ちょっと!! 14歳が子供だってどういう事よ!!」
「お前のことは言ってないだろ……って待て待て待て」

二人はおそるおそる、老人のいた筈のベンチを見る。耳が遠いのか老人は、言い争いに気づいてない様子だった。俺と伊織は胸をなで下ろす。

「……話がずれた。言い直す」
「……そうしてちょうだい」

伊織はハンカチで口を拭う。俺もネクタイの位置を直して、心の中でカチンコをならす。テイク2。

「俺はお前のファンなんだよ」

それが一番俺の心情に近い言葉だった。伊織もそれに納得したのか頷く。

「プロデューサーだとか、お前を世界一にしてやるとか、枕営業も辞さないとかどんなにかっこつけても、結局お前を応援したいだけなんだよな」

話しながら、結局伊織に根負けした事を俺は悟る。惚れたら負けというのはこういう事を言うのだろう。全く。伊織の顔さえ、まともに見れやしない。

「それがアンタの応援だっていうなら、私も乗ってやらない事もないわ」

伊織がいつもの調子で答えてくれた。伊織も俺を見ちゃいないだろう。

「どうせ今日の事だって、私を励まそうって魂胆なんでしょ?」
「それぐらいは気づくと思っていたけどね」

二人は顔を合わせる。俺が苦笑いすると、伊織は得意げに笑って見せた。

「それともう一つ、役作りの為だよ。駆け出しの頃思い出したろう?」
「私に『ミナセイオリ』になりきれっていうのね」
「あの監督のことだ、ただのカメラテストじゃ終わらないと思う」

そうね、と伊織は頷く。俺達はあの監督がとんでもないカメラホリックであることを知っている。そんな彼に準備万端に臨めるのも俺達の勝因を上げる要素だ。

「じゃあ行こうか」

俺が勢いよく立ち上がると、伊織が手を差し出す。

「甘えるなよ」
「無理しないで良いのよ?」

辺りを見回し俺は、恭しくその手を取って伊織を立ち上がらせた。

「だから言いたくなかったんだよ……」

仏頂面の俺を、伊織が悪戯っぽく笑う。
カメラテストは明日に迫っていた。
posted by tlo at 23:39| ○○の仕事風